2004年4月19日月曜日

タンカレー(Tanqueray)


(今夜の酒 #4)タンカレー(Tanqueray)
 今日の酒はタンカレーである。BGMはTom Waitsの「Swordfishtrombones」である。
 時にジンが飲みたくなる時がある。ジンを飲む時はよほどの事がない限りタンカレーである。それは何故か。単純にはじめに名前を覚えたジンだからである。10年ほど前、僕の職場の先輩とバーで飲んでいた時「おれはぁタンカレェが好きなンやぁ」とか言いながら飲んでいた。呂律は回っていなかった。が、天才肌でありながら努力をおこたらない、物事の本質を的確にとらえる事の出来る尊敬していた先輩でもあり、それをまねしたかったのだ。それだけである。
 以前はカクテルとして飲んでいたが、いつからかロックで飲んでいる。鼻に芳香が抜け、のど越しがきりっとしている。人に言わせると「松やに」とまず答えてくれる味である。他のジンと比べてどうか?そんなことは知らない。数杯飲んでるとあちらの世界に行ってしまって、比べる事なんか出来ない。
 ジンは1660年頃オランダの医学者フランシスクス・シルヴィウスが、杜松の実、コリアンダー、シーズなどの成分を抽出し、薬用酒として売り出したらしい。タンカレー(Charles Tanqueray)は1830年にイギリスで創業された。ボトルの形は18世紀のイギリスの消火栓を模しているらしい。たいていどこのバーでも「タンカレー」と頼めば出てくる有名な銘柄である。タンカレーが出てこないバーに行ってはいけない。ケネディ大統領やフランク・シナトラも愛飲していたらしい。
 ジンはよくカクテルとして愛飲されているが、有名なのはマティーニである。ジンとベルモットを混ぜるだけなのだが、「ザ・パーフェクト・マティーニ・ブック」には268種のレシピが紹介されているほどバラエティに富んでいる。チャーチルは横目でベルモットのビンを眺めてジンを飲んだり、執事にベルモットでうがいさせ、グラスに注がれたジンに「ベルモット」と小声で囁かせて飲んだらしい。声が大きいと甘くなりすぎるらしい。クラーク・ゲーブルはベルモットのボトルを逆さにし、そのコルク栓でグラスを拭きジンを注いで飲んだという。へミングウェイも愛飲していたらしい。真偽の程はさておき、いろいろな逸話が残るほど奥が深いカクテルである。きっと適当に両者を混ぜると何らかの名前のマティーニになっているに違いない。
 ともあれ、酒を飲むのに理由なんかいらない。ジンをどのように飲んでもいい。当然、Tom Waitsを聴くのにも理由なんかいらない。
Tanqueray

2004年4月15日木曜日

Andre Mehmari / Canto


(旧譜・Brazil, Jazz)Andre Mehmari / Canto(2002)
 さて、こういう作品に出会ってしまうと、一体どういう表現を使って紹介したらいいのか途方に暮れてしまう。音を聞いていただければいいのだが、なかなかそういうわけにもいかず、試聴できるサイトを探すのも一苦労である。実際出会ったのはかなり前なのであるが、未だに言葉に悩んでいる。まあ、いいや。出しちゃえ。 
 Andre Mehmariは1977年生まれ、ブラジル出身のピアニストで、2002年の「Canto」は事実上初のソロアルバムとなる。このアルバムで彼はピアノ、オルガンからビオラ、ヴァイオリン、クラリネット、ギター、パーカッション、ボーカルにいたるまでほとんど全てのパートをひとりで演奏し、この優美な世界を作り上げている。この時彼は25歳。恐ろしい・・・。Milton Nascimentoの「Cais」のカバーも収録されているが、端正で壮大な曲のほとんどは自身のオリジナルであり、クラシックの要素も感じられる。曲を聴いていると、遠く旅の空の下で優しい風に吹かれているような、空を見上げているような、そんな風景が目の前に広がる。イメージがどんどん膨らみ、胸がすくような感じである。繊細で美しく、そして叙情的である。ショーロの曲も2曲収録されており、これらもさわやかで気持ち良い。間違いなく何年経っても聴いているであろう傑作である。

 また、つい先日2枚目のアルバム「Lachrimae」がリリースされたところであるが、こちらはピアノトリオをメインに、曲によってクラリネット、ストリングスなどを追加した叙情的で本当に美しい作品である。始めの一音から泣ける。このアルバムではMehmariはピアノに専念しているようだ。「Canto」より音数がしぼられシンプルであるが、その分さらに研ぎ澄まされ洗練されているような印象を受ける。また、ボーカルでMonica Salmasoが参加。こちらも妥協のない傑作である。

Official Site(試聴可!)
紹介サイト(試聴可)
Nucle Contemporaneoレーベルのサイト
上記サイト内、「Canto」の紹介ページ

2004年4月14日水曜日

Julia Hulsmann Trio With Anna Lauvergnac / Come Closer


(新譜・Jazz)Julia Hulsmann Trio With Anna Lauvergnac / Come Closer(2004)
以前Rebekka Bakkenとのアルバムでご紹介した(3月5日の記事)Julia Hulsmann Trioの新譜が出たのでご紹介。
前作のヒットに気を良くしたのか、今回はAnna Lauvergnacという女性ボーカリストを自身のピアノトリオに招いて録音されている。今作は「Celebrating Randy Newmanと」いうサブタイトルが示すとおり、なんとRandy Newmanへのオマージュとなっており、一曲を除いて全て彼の作品のカバーである。Julia Hulsmannは子供の頃、ピアノの弾き語りをするRandy Newmanをテレビで見て感銘を受けピアノを弾くようになったのだそうだ。とはいえRandy Newmanはご存知の通りニューオーリンズ出身のシンガーソングライターであり、彼女らとはベクトルが違うようにしか思えないのだが、そこはそれ、長い間のリスペクトを込めてジャズ的なアプローチで彼の曲を再構築している。主に70年代の曲のカバーが多いようだ。
Anna LauvergnacはVienna Art Orchestraのボーカリストだった人で、写真通りのかわいらしい声かと思って聴くと騙される。Rebekka Bakkenと比較するとしっとりねっとり粘液質な印象で、思ったより低めの声でブルージーにゆったりと歌い上げる。Julia Hulsmannのピアノは相変わらずスマートである。クールでありながら、ピアノトリオだけのパートになるとぐんぐんと飛ばして弾きまくる。前回のアルバムもそうだったが、このトリオはリズムが面白い。Julia Hulsmannがフェンダーローズをグルーヴィにぶっ飛ばしている時はHerbie HancockからMedeski, Martin & Woodの名前が頭に浮かんだくらいだ。
思った以上に引き込まれるアルバム。Randy Newmanのピアノ弾き語りでのセルフカバーアルバム「Songbook Vol. 1」と聴き比べると面白いかも。
ACTレーベルのこのアルバムの紹介のページ(試聴可)
ディスクユニオンの紹介のページ

2004年4月13日火曜日

Clem / Samossa


(新譜・Jazz)Clem / Samossa(2002?)
今日買って今日紹介書いているのは結構珍しいかも。それくらい気に入ったという事で。下のホームページで5曲をフルコーラスで試聴できるのでとりあえず聞いていただけたらと思う。
ほとんど情報がないのでよくわからないのだが、Clemはパリ出身の女性シンガーソングライターで、14歳の頃から父親とヨーロッパじゅうの路上やらクラブで歌っていたらしい。2000年の春にブラジルに渡りサンパウロでギタリストMichelangelo Pagnanoと出会い、それから彼との活動が始まる。このアルバムの曲のほとんどは二人の共作になっており、Clemの可憐なボーカルとそれを優しくバックアップするMichelangelo Pagnanoの透明感のあるアコースティックギター、その他チェロやバイオリン、ベース、パーカッションなど、曲により必要最低限の音で成り立っている。ブラジルやアフリカのリズム、ボサノバの曲調などをうまく取り入れたちょっとポップスよりのアコースティックなジャズになっており、ちょうどWeekendやFairground Attractionを彷彿させる曲もある。ちょっとBillie Holidayをまねたような歌い回しもあったりで微笑ましい。上品で気持ちの良いボーカルアルバムである。推薦。
オフィシャルサイト(5曲フルコーラスで試聴可)

2004年4月11日日曜日

The The / Heartland(1986)


(今日の80's #33)The The / Heartland(1986)英29位
1986年に発表された「Infected」は1980年代を代表する重要作だ。The Theは基本的にはMatt Johnsonのひとりプロジェクトだが、この「Infected」は「Burning Blue Soul」(Matt Johnson名義)を入れると3枚目のアルバムになる。ほとんど1人で作られた濃密で完成度の高い傑作である。しかしエネルギーは外に向かっており、矛盾した社会への強い批判、シニカルでシリアスな歌詞などかなりメッセージ色の強い内容になっている。
この曲はこのアルバムからのシングルだが、アメリカに傾倒するイギリス社会への批判になっている。ビデオクリップは広場のステージにひとり立ち歌うものだが、観客はコーラ(アメリカのメタファー?)を飲んでいる女性ひとりだけ(その後コーラを吐くイメージが重なる)。バックのスクリーンにはデフォルメされたイギリスの日常が次々と映し出される。印象深いビデオである。曲の最後に「イギリスはアメリカの51番目の州だ!」というフレーズが繰り返されるのだが、そのするどいメッセージは20年近くたった今でも有効である。というか、今でこそ必要である。単純に言葉を借りれば、今の日本はアメリカの52番目の州じゃないか!?
このアルバムに合わせて収録曲が全曲(!)ビデオクリップ化されたビデオも発表された。このビデオは一曲一曲が濃縮され完結しながら、1本通して見てもまとまりのある完成度の高いものとなっている。それだけ彼の視点が焦点の合わさったものであったという事だろう。強い意志を感じる傑作である。もう何回見たかわからない。
そして忘れてはならないのがMattの実弟であるAndy Dog(Andrew Johnson)によるアートワークである。グロテスクで鋭くビビッドに表現されたアートは、この頃のThe Theのアルバムやシングルのジャケット全てに使われておりどれも印象的なものだ。因にAndy Dogは1990年頃(詳細不明)夭折している。
The Theとしてはこの後Johnny Marr(元The Smiths)などを迎えてバンド化し攻撃的な作品を数多く発表しているが、なんだか最近のものは内省的な感じが強くなっている。オフィシャルサイトもしばらくBlack Outが続いていたが、最近Re-Launching soonに変わり活動再開の予感がするのだが・・・?期待して待っている。
(注1・「Infected」はイギリスとアメリカで収録曲のアレンジが違う。ファン泣かせである・・・全く。)
(注2・マニアックな話になるが、「Infected」の初回盤のジャケットは娼婦のところで上半身裸で叫んでいるやつだが、一度見た記憶があるのみである。どなたかご存知ではないだろうか・・・? →と、ここまで書いて今日中古レコード屋行ったらあったよ!やったぁ!!)
オフィシャルサイト・・・Re-Launching soon、活動再開寸前か?

2004年4月8日木曜日

Out To Lunch !(カツカレー)


今日は軽く二日酔いで調子悪いのだが、二日酔いの時にはよくカレーを食べる。別に他のものでも良いのだが、糖分などが肝臓の働きを良くするからなのか血流が良くなるのか、何かしら口に入れると不思議と楽になる。
もともとカレーは大好きである。以前書いたように、岡山にはラーメン好きが多くラーメン屋の数は多いのだが、なぜか逆にカレー専門店の数は少ないように思う。ちょっとカレーが食べたい時に手ごろな店がないのは困るもんだ。知人に「ラーメン文化が強い土地ではカレー文化はなかなか根づかない」などとまことしやかな話を聞いたが、根拠はないしそれを証明するデータも持ち合わせておらず真偽の程はわからない。
所詮カレー、されどカレー。カレーは数百円の安いものから数千円はする高級カレーまでかなりレンジが広く、また、インド風、欧風、タイ風、カレー丼のような和風、果てはジャマイカ風など水平方向にもかなり広い。カレーはだいたいどのように作ってもそれなりにうまいのだが、ちゃんとカレーを完成させようとすると手間と日数がかかり、これほど難しい料理はないという料理人もいる。どうも奥は深いようだ。僕はグルメではないのでわからないけど。
さて東京にきてからもいろいろとカレー屋を探すのだが、どの店もそれぞれ個性があっておいしい。とはいえ、何度も足を運ぶ店はそれなりに限られてくる。ということで今日はここ、写真を見ただけでわかる人はわかる「キッチン南海」のカツカレー。キッチン南海もいろいろなところにのれん分けがあるようだが、職場から近いので神田小川町の店によく行く。新御茶ノ水駅のある本郷通りを靖国通り方向に下って右手側(適当だが、だいたこの辺)。おばちゃん4人ほどでやってるカレー関係のみの店舗だ。カレー500円、かつカレー650円、かつカレー大盛り750円(写真)など。カレーソースはかなり黒いのだがいわゆるお好み焼きソースのような味ではなく、なんのうま味かよくわからないがうま味が強くスパイシーでおいしい。ちょっと辛口。かつは揚げたてである。ビジネス街という場所柄か平日11:30〜15:00の営業(土、日、祝日休み)で、昼食のサラリーマンが多い。回転も早く待つほどは混まない。カレーの欲しくなる平日はよくここに行ってしまう(ここが閉まっている時は神保町のキッチン南海へどうぞ)。
P.S.都内でカレーの美味しい店ご存知の方、ご教授下さいませ!

2004年4月7日水曜日

Rickie Lee Jones Live at Shibuya Bunkamura Orchard Hall

3月26日にRickie Lee Jonesのライブに行った。何で早々にこの文章を書かなかったのか?・・・書けなかったのだ。思い入れがあればあるほど。20年来彼女のファンであって(といっても、CDやレコードを集めて聴きまくるくらいだが)、はじめて生で彼女の演奏が聴けるというのは僕にとって一大イベントだった。そもそも来日は10年ぶりであり、今回の来日公演も大阪、東京の2回のみであった。幸運な事に万事うまくいって、席も前から3列目が取れたのだが、数年前のフジロックフェスティバルも突然キャンセルになったこともあり、ホントに生で歌声を聴く事が出来るのか?当日第一声を聞くまではひやひやものだった。実際オーストラリア公演はキャンセルになったらしい。会場にはピーター・バラカンさんの姿もあった。
ステージに登場した彼女はワインレッドのセーターとスカート。普段着のようだ。挨拶も早々に、腕をまくり髪をかき上げ、ギターを掻き鳴らして歌い出した。純粋にカッコいいと思った。そしてあの声。チャーミングであり、小悪魔的であり、甲高く、優しく・・・。今年で50歳になろうかというのに、不思議な事に20年前と変わってないようにすら思われる。あの声の主が目の前にいる、何という事だろう。スローな曲もいいが、やはりミディアムからテンポの速めの曲でのリズムに乗った歌い方が気持ちいい。そう、彼女の曲は自由奔放で聴いてて気持ちいい、ということがキーワードだと思う。バンドは5人。ベース、ドラム、キーボード兼トランペット、リード。ギターは曲ごとに換え、全て彼女が弾いていた。さすがにみんな手練れであり息も合ってて、にこにこ楽しそうに演奏していた。それぞれのアドリブもぱきっと決めていた。曲は最新アルバムの「The Evening of My Best Day」からが半分ほどと、旧作から自身の曲がほとんどであった。人気曲「Weasel And The White Boys Cool」や「Young Blood」、「Satellites」では歓迎の拍手が起ったし、「Chuck E.'s In Love」は予定外で即興で歌いはじめられたらしく、彼女のギター弾き語りとなった。みんなが手拍子した。バックのメンバーはにこにこと見守っていた。ラストはブッシュ政権を批判した「Ugly Man」。7時15分から9時50分の約90分があっという間であった。
彼女は余計な事はしない。CDにも妙なボーナストラックとかつかないし、おまけもない。コンサートでもMCは最低限だし、つたない日本語を使ったり、日本にちなんだ曲も演らない。今回アンコールがなかったというのも同様の事かもしれない。それはそれでカッコいいと思う。ただ、コンサートホールは中途半端なライトの消し方(客席は暗く、ステージがわずかに明るいまま)をしないで欲しかったな。期待しちゃうじゃない・・・。海外のコンサートではアンコールのある日もあったようだし、実は当日も流動的なものだったのかもしれない。日本の何かに気を悪くしたのではなければいいが、とそれだけが気になった。
ともあれ、コンサートが終わった後は満足感とともに、今度彼女の声が生で聴けるのは一体いつなんだろうな・・・という、喪失感に見舞われてしまった。
Smashによる東京公演のフォトレポート
同じく大阪公演のフォトレポート
同じく東京公演フォトレポート、時間は止まったままだった
同じく東京公演フォトレポート、年齢を超えられる人もいる
The Official Rickie Lee JONES Website
→ 上記オフィシャルサイト内、ツアーのページに東京の桜とRickie Lee Jonesの写真あり

2004年4月3日土曜日

John Cougar Mellencamp / Lonely Ol' Night(1985)


(今日の80's #32)John Cougar Mellencamp / Lonely Ol' Night(1985)米6位
インディアナ州のSeymourというところがどんなところなのか全く知識がないが、「Small Town」のビデオを見る限りいい感じの田舎みたいである。John Mellencampは1951年Seymour出身である(うわ、この曲が出た頃の彼は今の僕と同い年か!ひー!)。「Mellencamp」という名前が田舎臭いという事でDavid BowieのマネージャーにJohnny Cougarという名前を付けられ、1976年にデビュー。1982年にはJohn Cougar名義で「Jack & Diane」が全米1位になりやっと認められるようになる。1983年のアルバム「Uh-Huh」でやっと念願の本名が加わりJohn Cougar Mellencamp名義となる。そして1985年の名作「Scarecrow」からのファーストシングルがこの曲。アメリカの地方都市に根づいたストレートで飾り気のないロックが彼の身の上で、この曲を聴いた時もまだ見た事のないアメリカが懐かしくさえ感じた。僕の考えるアメリカンロック。乾いたギターとざらりとした感触がカッコいい。街を歩きながらiPodで聴いていると、つい「ハッ!」とか合いの手を入れてしまう自分がはずかしい。
このアルバムはキーボードやホーンをくわえたサウンドとなっているが、本質的なスピリットは同じ。農政の問題点や社会的なメッセージにも切り込んだ反骨精神あふれる内容になっている。アメリカン・ロックとはこうあるべきだ。アルバムにはRickie Lee Jonesも参加している。
現在は(いい意味で)いいおやじになってて、味のある作品を発表している。特に2001年のIndia Arieと歌った「Peaceful World」はホントいい曲だ。
しかし、彼はしょっちゅう名前が変わる。Johnny Cougar→John Cougar→John Cougar Mellencamp→John Mellencamp。徐々に地方都市出身のアイデンティティが出てきてて好ましいのだが。でも申し訳ないが僕の中ではやっぱりJohn Cougar Mellencampなんだなあ。
John Mellencampオフィシャルサイト

Depeche Mode / Blasphemous Rumours(1984)


(今日の80's #31)Depeche Mode / Blasphemous Rumours(1984)英16位
1980年結成なので、すでに20年以上のベテランの域に入る。Depeche Modeは間違いなく現存しているイギリスを代表する重要なバンドのひとつである。1980年Vince Clarke、Andrew Fletcher、Martin L. Goreに David Gahanが加入しDepeche Modeがデビュー。直後の1981年、結成当初の曲のほとんどを書いていた中心人物Vince Clarkeが脱退し(後にYaz→The Assembly→Erasure)バンドの存続が危ぶまれたが、Martin L. Goreが隠されていた作曲能力を発揮し、その結果以前よりさらに深みと広がりそして重みを持った作品群を発表するに至る。Martin L. Goreのソングライティング・センスはもうすこし評価されてしかるべきと思う。1982年にAlan Wilderが加入しバンドとしての音が確立していくが、1984年の「Some Great Reward」はDepeche Modeとしては4枚目のアルバムで、初期の彼らの代表作だ。このアルバムから「People Are People」(米13位、英4位)、「Master and Servant」(米87位、英9位)がヒットし世界的に認知されるようになるが、個人的には「冒涜的な噂」と名付けられたこの曲の重要性を主張したい。
「16歳の少女が人生に嫌気がさし手首を切ったが、なんとか一命はとりとめた。主が情けをかけてくれたらしい。母親は涙をこらえ少女のメモを読み返し、ひざまずいて祈った。少女は18歳になり全てのものを愛せるようになった。イエス・キリストに第二の人生を見いだしたが、自動車事故にあい生命維持装置に繋がれたまま死んでしまった。彼女が逝った夏の日も空には小鳥が鳴いていた。そしてまた母親の目から涙がこぼれる。冒涜的な噂を流すつもりはないが、神のユーモアのセンスは悪すぎる。僕が死んだらきっと彼はあざ笑うんだろう・・・。(Blasphemous Rumours)」
どうしようもない皮肉な運命の悪戯、納得のいかない人生の転機。思えばニュースを見渡しても同様の事は普段の生活にも毎日のように起っていることであり、自分にもいつ降りかかってくるかはわからない。David Gahanはぽつりぽつりと低い声で歌い、灰皿のようなものが転がる音や鼻をすするような音が効果的に使われる。この曲をはじめに聞いた時の衝撃は忘れられない。この曲の両A面のカップリングは「Somebody」(アルバムとはバージョン違い)で、心臓の鼓動の音から始まる慈しむようなMartin L. Goreの歌うバラード。この曲があるから救われるし、さらに泣ける。
この後もバンドはどんどん成長を続けるが、1995年にAlan Wilderは脱退(→Recoil)。またDavid Gahanが自殺未遂を起こすが、1997年に復活。その後は現在は3人組として順調な活動をしているのは周知の通りである。旧来の美少年たちはいい意味で色気のある大人に成長したし、David Gahanの声にも艶と深みが増したなあ。今後の活動も楽しみである。
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2004年3月31日水曜日

Yes / Leave It(1984)


(今日の80's #30)Yes / Leave It(1984)米24位、英56位
特にYesのファンというわけでもないので、70年代のプログレまるだしのYesはほとんどなじみがなく、僕がリアルタイムで知っているのは大ヒットした1983年の11枚目のアルバム「90125」以後。Trevor Hornがプロデュースしたこのアルバムは従来のYesからがらりと変わったテクノロジーを駆使したポップな出来で、結果的に大ヒットしたものの旧来からのファンは複雑な心境だったらしい。しつこいようだが僕はここからしか知らないのでYesのイメージはこのアルバムである。このアルバムからは第一段シングルの「Owner of a Lonely Heart」が全米1位を記録したが、この「Leave It」はそれに続くシングルカット。これ以前もこれ以後も聴いた事のない奇妙な曲である。Yesの面々の抜群のコーラスワークにThe Art Of Noiseばりの(まあ、Trevor Hornだから・・・)オーケストラヒットや爆弾のようなドラムのサンプリングが重なる。一体Yesのファンはこの曲をどう判断したのだろうか?僕は特にファンではないのでこの曲は許すっていうかもう大好き。Trevor Hornらしくシングルは微妙に違うRemixで、オフィシャルだけでも他にHello, Goodbye MixやらA Capellaなどがある。ちなみに当時NHK-FMではこの曲はA Capellaバージョンしかかからなかった(ナゼだか知っているひとは是非ご教授お願い致します)。余談だがA Capellaバージョンの2分49秒ごろに誰かが咳払いしているのが聞こえる。
ジャケットやアルバムタイトルがなんだか手抜きなかわりにYesはビデオを非常に凝っており、「Owner of a Lonely Heart」での映画的な世界に続いて、この「Leave It」ではGodley & Cremeを起用。逆さまにぶら下がったぺらぺらのYesの面々があっちいったりこっちいったり、顔がくるくる回ったり・・・。最後は折り畳んで消えてしまう。もう大好き。
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